狼シャーマニズムにおける守(まも)り ·
三つの文化圏に通じる八つの質(しつ)
狼は守ります — 目覚めているがゆえに · 境(さかい)を知るがゆえに · 前と後の群れを結ぶがゆえに。三峯(みつみね)の御札(おふだ)、アイスランドの狼の十字、閾(しきい)に立つルー・ド・バロン。

守(まも)りは、シャーマンの実践への、最も古き人間の願いの一つでございます。体への支えを求める以前に、人々は守りを求めてまいりました — 名指(なざ)せるに先立って感じていたものへの守りを。狼はほぼ全ての大いなるシャーマンの文化において守護の霊として現れます。親(した)しき同伴者としてではなく · 他の者が憩(いこ)う間、見張(みは)りに立つ存在として。
本稿は狼の俯瞰(ふかん) 「守護獣(しゅごじゅう)としての狼 · 三つの文化圏」の一主題を深めてまいります。守りを特定の働きとして見つめ · それが大いなる狼の三つの流れにそれぞれ異なる形を取ったことをお示しいたします。
シャーマンの意味における守りとは
シャーマンの理解における守りは、防御(ぼうぎょ)と同じではございません。壁は分かつことで守ります。狼は察し、見分け、本当にそこに属(ぞく)さぬものにのみ介入(かいにゅう)して守ります。この目覚めの質が主題でございます。目覚めなくして守りはなく · 目覚めがあれば、力を要さぬことも多いのです · 臨在(りんざい)の明晰(めいせき)さで足りるのです。
Shamanic Worlds の中心となる三つの大いなる文化圏のそれぞれにおいて、狼はそのために固有(こゆう)の形を見いだしてまいりました。
狼の守りの八つの質
守りの霊として狼を呼ぶ者は、抽象的(ちゅうしょうてき)な像を呼ぶのではございません。自然の狼の観察から汲(く)まれた具体的(ぐたいてき)な質(しつ)の連(つら)なりを呼びます。次の八つは三つの文化圏すべてに現れます · 強弱(きょうじゃく)を異(こと)にして。
- 目覚め · 変化を、それが現れる前に察する力
- 領(りょう)の明らかさ · 自身の場(ば)がどこで終わり、他者の場がどこから始まるかを知ること
- 群れとの結び · 真に属する者への信義(しんぎ)
- 嗅覚(きゅうかく) · 象徴的には、表(おもて)の下の意図を見分けること
- 静けさ · そこから精密な行いが生まれる沈黙(ちんもく)
- 忍耐(にんたい) · 疲れることなく長く堪(た)える
- 警(いまし)めの遠吠(とおぼ)え · 時を得て声を高くする備え
- 恨(うら)みなき · 脅(おびや)かしたものに対し恒常(こうじょう)的な恨みを残さず守ること
これら八つは理論ではなく · 三つの文化圏において具体的(ぐたいてき)な守りの実践が育(はぐく)まれてきた要素(ようそ)でございます。
目覚めた狼は咬む必要がございません。その臨在のみで、場の感触(かんしょく)が変わります。これがあらゆる守りの実践の核(かく)でございます。
御札(おふだ) · 三峯(みつみね)と武蔵御嶽(むさしみたけ)からの守り
大いなる狼の日本の流れにおいては御札(おふだ)が中心に立ちます — 神社にて清められ、家に安置(あんち)される、紙あるいは木の小さな長方形の守りの札でございます。日本の三峯神社と武蔵御嶽神社は、狼の意匠(いしょう)の御札で何世紀にもわたり知られてまいりました。
その背後の理(ことわり) — 御札はこれらの社の狼神、大口真神(おおぐちのまがみ)の臨在(りんざい)を運びます。これを安置する者は、その臨在を家にお招(まね)きするのです。狼が自らの領を見守るがごとく、家を見守ります。日本の民間信仰においてその働きはあまりにも当然のものとされ、今日も多くの伝統の家屋にて生けるが実践でございます。
より深い結びは「大神(おおかみ) · 日本の狼と神道」もご参照ください。
アイスランドの狼の十字
北欧の流れにおいてはアイスランドの狼の十字が、知られざるとも力ある守りの物(もの)でございます。トールの槌(つち)を噛(か)み砕(くだ)く狼が描かれます · 古典の北欧の解釈では神々に対するものとして、シャーマンの読みにおいては別様に — 支配的(しはいてき)な像が狭隘(きょうあい)に陥(おちい)ったとき、それを破(やぶ)る狼の氣として読まれます。
狼の十字はアイスランドにて個人の護符(ごふ)として帯びられました。旅、とりわけ霊的(れいてき)に生きていると考えられた地で、帯びる者を守ります。シャーマンの読みでは · 狼を自身の人物(じんぶつ)に結び、その目覚めが共に行く、と。
詳しくは「アイスランドの狼の十字とフェンリル」もご参照ください。
ルー・ド・バロン · アフリカの閾の守り手
大いなる狼のアフリカの流れにおいてはルー・ド・バロンが、知られざるが、特有(とくゆう)の守りの姿として現れます。コートディヴォワールの西アフリカのヴォドゥンに属し(カリブのヴードゥーではなく)、ルー・ド・バロンは閾(しきい)の守り手でございます · 扉(とびら)を開(ひら)く、あるいは閉(と)じるべきときに呼ばれる力。
ルー・ド・バロンへの近づきは儀礼化(ぎれいか)された関係の仕事を通じてでございます。必要に応じて切り替える反射(はんしゃ)的守りではなく · ある瞬間に応(おう)じて呼び出しうる長期(ちょうき)の絆(きずな)。それはヴォドゥン一般の理に従いまして、守りは、共に働く力々(ちからぢから)との続く関係に組み入(い)れられているのでございます。
細部については「キンイロジャッカル・アフリカのオオカミ・アヌビス」もご参照ください。
今日の日常における守りの実践
狼シャーマニズムにおける守りの実践は、今日これに取り組む方にとっていかなる姿となるでしょうか。マークとアイリーンが伴走するすべての系譜において繰り返し現れる三つの要素がございます。
朝の狼との習(なら)わし
一日が始まる前の短き時、内において狼を呼びます。長き瞑想(めいそう)ではなく、二分で十分です。実践者は狼の像を呼び、その目覚めを自身の身体に流入(りゅうにゅう)させ、一日に向け整えます。これが、襲(おそ)い来る一日と、その中に歩み入(い)る一日との違いでございます。
領の明らかさ
週に一度、自身の領を氣(き)的に検(あらた)めます。どの関係、義務、デジタルの路(みち)がいまも自身の群れに属するのか。どのものが入り込み、何も寄与(きよ)せず氣を吸(す)っているのか。狼の明晰(めいせき)さがこの見分けを助け · 必要なところで動くことを促します。
祭壇(さいだん)の仕事
玄関(げんかん)あるいは仕事の場における小さな守りの祭壇 — 御札、狼の十字、蝋燭(ろうそく)、狼の像、あるいは個人的に意味ある場(ば)からの自然の物 — が、守りの働きを場所に錨(いかり)としてとどめます。なすまで素朴(そぼく)に響きますが、なすとき気づきます — 働きます、と。
守りは関係
最後に最も重要な一点 — 狼シャーマニズムにおける守りは、一度立て上げて忘れる技法ではございません。関係でございます。狼は手入(てい)れされたとき守ります — 実践者が彼に注意を払い、敬い、耳を傾けるとき。狼の祭壇を立てたまま三月(みつき)放置(ほうち)した者は守りを失います · 装飾(そうしょく)の品しか残りません。
関係こそ核(かく)。実践は道具です。両者が共にあって、外から駆られる人生と、自身の場が澄(す)んで残る人生との違いを生むのでございます。
奥儀(おうぎ)の道における守りの実践
御札、狼の十字、ルー・ド・バロンとの具体的(ぐたいてき)な守りの実践は、狼シャーマンの奥儀の道のライブの行事において伝えられます。