道教(どうきょう) · 武術(ぶじゅつ)2026年4月20日 · 8分(ふん)で読(よ)めます

太極拳(たいきょくけん)としての
シャーマニズム業(わざ)

中国(ちゅうごく)の公園(こうえん)では老人(ろうじん)が遊(あそ)ぶように行(おこな)う。道教(どうきょう)の僧院(そういん)では道(みち)として歩(あゆ)まれる。緩(ゆる)やかな型(かた)は易(やさ)しいものではなく——最(もっと)も要求(ようきゅう)の高(たか)きものでございます。

太極拳(たいきょくけん) · シャーマニズム · マーク・ホサック博士(はかせ)のシャーマニズム実践(じっせん)
太極拳(たいきょくけん) · 道教(どうきょう)のシャーマニズム伝統(でんとう)

太極拳(たいきょくけん)(太極拳)とは文字通(もじどお)り「太極(たいきょく)の拳(けん)」、すなわち「最高(さいこう)の極(きょく)の拳(けん)」。名前(なまえ)は道教(どうきょう)の概念(がいねん)太極(たいきょく)を指(さ)し示(しめ)します——最高(さいこう)の原理(げんり)、あらゆる両極性(りょうきょくせい)の根源(こんげん)、陰陽(いんよう)の二(ふた)つの形(かたち)が抱(いだ)き合(あ)う知(し)られた象徴(しょうちょう)。この伝統(でんとう)で太極拳(たいきょくけん)を修(おさ)めることは、その両極性(りょうきょくせい)へと生(い)きてゆくことを修(おさ)めることでございます。型(かた)は振付(ふりつけ)ではない——身体(からだ)になった宇宙(うちゅう)モデルでございます。

本記事(ほんきじ)はハブ「シャーマニズムにおける霊的(れいてき)戦士(せんし)」のスポーク。太極拳(たいきょくけん)を戦士(せんし)の文脈(ぶんみゃく)に位置(いち)づけ、柔(やわ)らかな朝(あさ)の体操(たいそう)というイメージを超(こ)えて、シャーマニズム的(てき)・道教(どうきょう)的(てき)読(よ)み方(かた)においていかに働(はたら)くかを示(しめ)します。

歴史的(れきしてき)淵源(えんげん)

伝説(でんせつ)は太極拳(たいきょくけん)を、13世紀(せいき)に武当山(ぶとうさん)に住(す)んだとされる道教(どうきょう)の僧(そう)、張三豊(ちょうさんほう)に遡(さかのぼ)らせます。歴史(れきし)的(てき)に追(お)える形(かたち)は後(のち)、17世紀(せいき)から、河南省(かなんしょう)陳家溝(ちんかこう)の陳(ちん)家(け)に発(はっ)します。陳家(ちんけ)式(しき)からよく知(し)られた諸式(しょしき)——楊(よう)、呉(ご)、孫(そん)など——が発展(はってん)しました。

すべての流派(りゅうは)に共通(きょうつう)するのは道教(どうきょう)の徴(しるし)。緩(ゆる)やかな動(うご)き、解(と)けて沈(しず)んだ立(た)ち姿(すがた)、丹田(たんでん)への業(わざ)、円(えん)の幾何学(きかがく)——八卦(はっけ)や気功(きこう)と同(おな)じ源(みなもと)から来(き)ております。山(やま)の僧(そう)、道教(どうきょう)の祭官(さいかん)、シャーマニズム的(てき)に触発(しょくはつ)された身体(からだ)の探求者(たんきゅうしゃ)たちが、何世紀(なんせいき)もかけて、今日(こんにち)太極拳(たいきょくけん)と呼(よ)ばれる型(かた)の集合(しゅうごう)を築(きず)いてまいりました。

動(うご)く瞑想(めいそう)としての太極拳(たいきょくけん)

西洋(せいよう)の安(やす)らぎ体操(たいそう)と真(まこと)の太極拳(たいきょくけん)の最大(さいだい)の違(ちが)いは、実践者(じっせんしゃ)の状態(じょうたい)です。型(かた)の流(なが)れの中(なか)に真(まこと)に在(あ)る太極拳(たいきょくけん)実践者(じっせんしゃ)は瞑想的(めいそうてき)状態(じょうたい)に在(あ)る——覚(さ)めているが緊張(きんちょう)していない。開(ひら)いているが拡散(かくさん)していない。動(うご)いているが散(ち)らかっていない。

この質(しつ)は古典(こてん)の太極拳(たいきょくけん)文献(ぶんけん)では松(しょう)(鬆)の語(ご)に集約(しゅうやく)されます。松(しょう)は「解(と)けほぐすこと」を意味(いみ)しますが、たるんだ意味(いみ)ではない。松(しょう)である腱(けん)は備(そな)わっている。松(しょう)である筋(きん)は気(き)を通(とお)す。松(しょう)である心(こころ)は固執(こしつ)せずに受(う)け取(と)る。シャーマニズム的(てき)な質(しつ)でございます。

太極拳(たいきょくけん)の実践者(じっせんしゃ)は押(お)し返(かえ)さぬことで勝(か)つ。これは戦士(せんし)の知恵(ちえ)である。武術(ぶじゅつ)を遥(はる)かに超(こ)えて当(あ)てはまる。

型(かた)の原則(げんそく)

  • 連続性(れんぞくせい) · 型(かた)は中断(ちゅうだん)なく流(なが)れる
  • 中心(ちゅうしん)化(か) · あらゆる動(うご)きは丹田(たんでん)、腹(はら)の中央(ちゅうおう)から来(き)る
  • 陰(いん)と陽(よう) · あらゆる動(うご)きは満(み)ち欠(か)けの配分(はいぶん)を持(も)つ
  • 螺旋(らせん) · 力(ちから)は螺旋(らせん)の軌道(きどう)で流(なが)れる · 直線(ちょくせん)では流(なが)れぬ
  • 根(ね) · 立(た)ちは沈(しず)んだまま、身体(からだ)は根付(ねづ)く · 硬直(こうちょく)なしに
  • 意(い)図(と) · 意(い)気(き)を導(みちび)く · 意(い)図(と)が動(うご)きに先立(さきだ)つ

これらの原則(げんそく)は型(かた)の指針(ししん)であると同時(どうじ)に人生(じんせい)の指針(ししん)でございます。太極拳(たいきょくけん)流(りゅう)に生(い)きる者(もの)は、困難(こんなん)な状況(じょうきょう)で自(みずか)らの中心(ちゅうしん)から動(うご)き、根(ね)付(つ)き、与(あた)えることと受(う)け取(と)ることの間(あいだ)を滑(なめ)らかに移(うつ)り、行動(こうどう)に先(さき)立(だ)って意(い)図(と)を行(い)かせる。武術(ぶじゅつ)の一(ひと)つの技法(ぎほう)もなしに、戦士(せんし)の質(しつ)でございます。

シャーマニズム的(てき)開(ひら)きとしての太極拳(たいきょくけん)

長(なが)めの太極拳(たいきょくけん)業(わざ)の後(あと)——二十分(にじっぷん)、三十分(さんじっぷん)、一時間(いちじかん)——意識(いしき)が変(か)わります。想像(そうぞう)ではなく、長(なが)く修(おさ)めた者(もの)なら誰(だれ)でも知(し)る再現(さいげん)可能(かのう)な効果(こうか)です。頭(あたま)が静(しず)まり、身体(からだ)が温(あたた)まり、知覚(ちかく)が広(ひろ)がる。この状態(じょうたい)で業(わざ)はシャーマニズム的(てき)になり得(え)る——「日常(にちじょう)の心(こころ)より大(おお)きなものに対(たい)して透(す)き通(とお)る」という意味(いみ)で。

道教(どうきょう)の僧院(そういん)ではこの開(ひら)きが、緊張(きんちょう)した日常(にちじょう)意識(いしき)では不可能(ふかのう)な瞑想(めいそう)に入(い)るために用(もち)いられることがございます。太極拳(たいきょくけん)はその時(とき)、扉(とびら)であって家(いえ)ではない。型(かた)は実践者(じっせんしゃ)を備(そな)える。その後(あと)に来(く)るものは静(しず)けさから来(く)る。

太極拳(たいきょくけん)と戦士(せんし)

武術(ぶじゅつ)としての太極拳(たいきょくけん)には独自(どくじ)の点(てん)がございます——相手(あいて)の力(ちから)に決(けっ)して逆(さか)らわぬ。常(つね)に共(とも)に行(ゆ)き、迂回(うかい)させ、流(なが)し送(おく)り、引(ひ)き入(い)れる。突(つ)っ張(ぱ)らない。これは道教(どうきょう)の根本(こんぽん)原理(げんり)無為(むい)「為(な)さぬ」——受動(じゅどう)ではなく「物事(ものごと)の理(ことわり)に逆(さか)らって動(うご)かぬ」という意味(いみ)——の身体(からだ)的(てき)翻訳(ほんやく)です。

霊的(れいてき)戦士(せんし)にとってこれは深(ふか)い洞察(どうさつ)です。物事(ものごと)の流(なが)れと共(とも)に行(ゆ)く力(ちから)は、それに逆(さか)らって働(はたら)く力(ちから)よりも大(おお)きい。太極拳(たいきょくけん)の戦士(せんし)は戦(たたか)わぬから負(ま)けるのではない——流(なが)れに留(とど)まって対峙(たいじ)する者(もの)が自(みずか)らを使(つか)い果(は)たしている間(あいだ)に勝(か)つのでございます。

Shamanic Worlds の実践(じっせん)における太極拳(たいきょくけん)

当方(とうほう)では太極拳(たいきょくけん)は道教(どうきょう)流(なが)れへの入(い)り口(ぐち)の一(ひと)つでございます。競技(きょうぎ)志向(しこう)の独立(どくりつ)した規律(きりつ)としては伝(つた)えません——それを担(にな)う流派(りゅうは)が他(ほか)にございます。当方(とうほう)では太極拳(たいきょくけん)は本来(ほんらい)の場所(ばしょ)に立(た)ち続(つづ)けます——意識(いしき)の移行(いこう)の柔(やわ)らかな道具(どうぐ)として、より深(ふか)きシャーマニズム業(わざ)の身体(からだ)基盤(きばん)として。

身体(からだ)基盤(きばん)としての太極拳(たいきょくけん)

太極拳(たいきょくけん)の諸要素(しょようそ)は狼(おおかみ)シャーマンの奥儀(おうぎ)の道(みち)の実践(じっせん)に流(なが)れ込(こ)みます。型(かた)は振付(ふりつけ)ではなく瞑想(めいそう)として体験(たいけん)されます。

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アイリーン・ヴィースマン

歴史学修士(れきしがくしゅうし) · 博士課程(はかせかてい) · シャーマン · メンター

日本の民間呪術(みんかんじゅじゅつ)における道教儀礼(どうきょうぎれい)を研究主題(けんきゅうしゅだい)とする宗教史家(しゅうきょうしか) · 京都の安倍晴明神社(あべのせいめいじんじゃ)における重要(じゅうよう)な体験(たいけん)。