気功(きこう)としての
シャーマニズム的(てき)・道教(どうきょう)的(てき)業(わざ)
西洋(せいよう)では柔(やわ)らかなくつろぎ術(じゅつ)として売(う)られる。伝統(でんとう)においては別(べつ)のもの——戦士(せんし)の身体(からだ)と癒(いや)し手(て)のシャーマンの方法論(ほうほうろん)でございます。

気功(きこう)(氣功)とは文字通(もじどお)り「気(き)に働(はたら)きかける業(わざ)」「生命(せいめい)力(りょく)を養(やしな)う業(わざ)」を意味(いみ)します。この語(ご)自体(じたい)は比較的(ひかくてき)新(あたら)しく——多(おお)くの古(ふる)い実践(じっせん)を一(ひと)つの傘(かさ)の下(した)にまとめるため20世紀(せいき)に造(つく)られました。けれども実践(じっせん)そのものは数千年(すうせんねん)の古(ふる)さを持(も)ち、道教(どうきょう)寺院(じいん)の文脈(ぶんみゃく)、『黄帝内経(こうていだいけい)』の医学(いがく)正典(せいてん)の伝統(でんとう)、初期(しょき)武術家(ぶじゅつか)の戦士(せんし)の身体(からだ)、そして——ここで強調(きょうちょう)するのは——道教(どうきょう)に先立(さきだ)ち、その中(なか)で生(い)き続(つづ)けるシャーマニズム的(てき)層(そう)から来(き)ております。
本記事(ほんきじ)はハブ「シャーマニズムにおける霊的(れいてき)戦士(せんし)」のスポーク。気功(きこう)を戦士(せんし)の文脈(ぶんみゃく)に位置(いち)づけ、安(やす)らぎ志向(しこう)の変種(へんしゅ)が見落(みおと)すものをシャーマニズム的(てき)・道教(どうきょう)的(てき)読(よ)み方(かた)が見(み)抜(ぬ)く点(てん)を示(しめ)します。
シャーマニズム的(てき)背景(はいけい)
道教(どうきょう)が哲学的(てつがくてき)流派(りゅうは)として存在(そんざい)する前(まえ)、中国(ちゅうごく)にはすでにシャーマンが存(そん)しました——巫(ふ)(巫)。彼(かれ)らは人(ひと)の世界(せかい)と霊(れい)・祖霊(それい)・天(てん)の力(ちから)の世界(せかい)との仲介者(ちゅうかいしゃ)でした。太鼓(たいこ)、舞(まい)、卜占(ぼくせん)、入神(にゅうしん)を目的(もくてき)とした身体(からだ)技法(ぎほう)と共(とも)に業(わざ)を行(おこな)いました。
これらの身体(からだ)技法(ぎほう)の幾(いく)つかは道教(どうきょう)の正典(せいてん)に移(うつ)り入(い)り、そこで体系化(たいけいか)されました。禹歩(うほ)「禹(う)の歩(あゆ)み」が最(もっと)も知(し)られた例(れい)——神話的(しんわてき)シャーマンの禹(う)に帰(き)せられる、今日(こんにち)もなお特定(とくてい)の道教(どうきょう)儀礼(ぎれい)に現(あらわ)れる儀礼(ぎれい)的(てき)歩(あゆ)み。こうした根(ね)から、今(いま)気功(きこう)と呼(よ)ばれるものの一部(いちぶ)が育(そだ)ちました。
もう一(ひと)つの例(れい) · 五禽戯(ごきんぎ)、「五(いつ)つの獣(けもの)の戯(たわむ)れ」——虎(とら)、鹿(しか)、熊(くま)、猿(さる)、鳥(とり)——医(い)師(し)華佗(かだ)(2世紀(せいき))に帰(き)せられます。これらの動物(どうぶつ)の型(かた)は模倣(もほう)ではなく、それぞれの動物(どうぶつ)の力(ちから)の性質(せいしつ)に対(たい)するシャーマニズム的(てき)な同調(どうちょう)です。虎(とら)の型(かた)を歩(あゆ)む者(もの)は虎(とら)の力(ちから)を感(かん)じる。シャーマニズム的(てき)範疇(はんちゅう)でございます。
気功(きこう)は気(き)を生(う)み出(だ)す方法(ほうほう)ではない。気功(きこう)はすでに在(あ)る気(き)を感(かん)じ取(と)り、それと関係(かんけい)を結(むす)ぶ方法(ほうほう)である。
三(みっ)つの古典(こてん)的(てき)柱(はしら)
真剣(しんけん)な気功(きこう)業(わざ)は三(みっ)つの柱(はしら)と共(とも)に同時(どうじ)に行(おこな)われます。一(ひと)つでも疎(おろそ)かにする者(もの)は、本当(ほんとう)の意味(いみ)で気功(きこう)を行(おこな)っているとは申(もう)せません。
- 調身(ちょうしん)(調身) · 身体(からだ)を整(ととの)える · 姿勢(しせい)、動(うご)き、構造(こうぞう)
- 調息(ちょうそく)(調息) · 呼吸(こきゅう)を整(ととの)える · 長(なが)さ、深(ふか)さ、律動(りつどう)
- 調心(ちょうしん)(調心) · 心(こころ)を整(ととの)える · 注意(ちゅうい)、観想(かんそう)、意(い)図(と)
三(みっ)つが共(とも)に働(はたら)いて初(はじ)めて、古(ふる)き文(ぶん)が真気(しんき)と呼(よ)ぶものが開(ひら)けます——「真(まこと)の気(き)」。これは神秘(しんぴ)ではなく、正(ただ)しい仕方(しかた)で十分(じゅうぶん)に長(なが)く業(わざ)を行(おこな)った者(もの)が皆(みな)体験(たいけん)する実践的(じっせんてき)な事実(じじつ)でございます。
気功(きこう)と戦士(せんし)の身体(からだ)
武術(ぶじゅつ)伝統(でんとう)——とくに内家(ないけ)拳法(けんぽう)である太極拳(たいきょくけん)、八卦掌(はっけしょう)、形意拳(けいいけん)——においては気功(きこう)が基盤(きばん)でございます。気功(きこう)なくしてこれらを修(おさ)める者(もの)は外殻(がいかく)を修(おさ)めているだけ。気功(きこう)と共(とも)に修(おさ)める者(もの)はそれらの本来(ほんらい)の姿(すがた)——戦士(せんし)の錬丹(れんたん)——を修(おさ)めているのです。
その錬丹(れんたん)には具体的(ぐたいてき)な名(な)がございます——内丹(ないたん)(內丹)。戦士(せんし)の身体(からだ)は三(みっ)つの変容(へんよう)に取(と)り組(く)みます。
精(せい)から気(き)へ
エッセンス、性(せい)的(てき)力(ちから)、身体的(しんたいてき)実体(じったい)に関(かか)わる身体(からだ)の根本(こんぽん)エネルギー(精(せい))が、動(うご)き循環(じゅんかん)するエネルギー(気(き))へと変(か)わる。具体的(ぐたいてき)には——実践者(じっせんしゃ)は自(みずか)らの身体(からだ)の根本(こんぽん)的(てき)力(ちから)を分散(ぶんさん)で失(うしな)わずに集(あつ)めて動(うご)きに乗(の)せることを学(まな)びます。
気(き)から神(しん)へ
循環(じゅんかん)する気(き)が意識(いしき)エネルギー(神(しん))へと精製(せいせい)される。これは瞑想(めいそう)、長(なが)き静(しず)けさ、刺激(しげき)で心(こころ)を釣(つ)らぬ力(ちから)に関(かか)わります。戦士(せんし)は足元(あしもと)に新(あら)たな地盤(じばん)を得(え)る——身体(からだ)的(てき)ではなく、心(こころ)的(てき)な地盤(じばん)を。
神(しん)から虚(きょ)へ
内丹(ないたん)の最高位相(さいこういそう)——煉神還虚(れんしんかんきょ)、「神(しん)が虚(きょ)へ戻(もど)る」——は、自(みずか)らの意識(いしき)エネルギーを周囲(しゅうい)の在(あ)るものと共(とも)に流(なが)し込(こ)ませる業(わざ)です。ここに至(いた)った者(もの)は道教(どうきょう)の意味(いみ)で「成(な)った」者(もの)。シャーマニズム的(てき)に申(もう)せば——より大(おお)きな諸力(しょりょく)に対(たい)して透(す)き通(とお)ったものとなったのです。
気功(きこう)対(たい)単(たん)なる健康(けんこう)気功(きこう)
西洋(せいよう)の受容(じゅよう)においては気功(きこう)はしばしば身体的(しんたいてき)効果(こうか)に切(き)り詰(つ)められる。血流(けつりゅう)改善(かいぜん)、関節(かんせつ)可動性(かどうせい)、安(やす)らぎ、ストレスの軽減(けいげん)。これらの効果(こうか)はございますし、実(じつ)在(ざい)し、悪(わる)きものではない。けれども、それは気功(きこう)からシャーマニズム的(てき)・道教(どうきょう)的(てき)深(ふか)みを剥(は)ぎ取(と)った後(あと)に残(のこ)るものなのでございます。
深(ふか)みは、気功(きこう)が方法(ほうほう)ではなく道(みち)として理解(りかい)される所(ところ)に生(い)きます。健康(けんこう)効果(こうか)のためではなく、自(みずか)らの生命力(せいめいりょく)との日々(ひび)の出会(であ)いとして業(わざ)が為(な)される所(ところ)。丹田(たんでん)における気(き)の集(あつ)めが、技法(ぎほう)としてではなく関係(かんけい)の業(わざ)として体験(たいけん)される所(ところ)。
Shamanic Worlds の実践(じっせん)における気功(きこう)
当方(とうほう)では気功(きこう)は数(すう)の場(ば)に流(なが)れ込(こ)みます——シャーマニズム業(わざ)の前(まえ)の基礎(きそ)訓練(くんれん)として、年単位(としたんい)で道(みち)を歩(あゆ)む方(かた)々(がた)の日課(にっか)として、他(た)の業(わざ)に入(い)る前(まえ)に自(みずか)らの状態(じょうたい)を整(ととの)える道具(どうぐ)として。孤立(こりつ)した武術(ぶじゅつ)の準備(じゅんび)としてでもなく、健康(けんこう)体操(たいそう)としてでもない。それは本来(ほんらい)の場所(ばしょ)に立(た)ち続(つづ)けます——シャーマニズム的(てき)に業(わざ)を行(おこな)い、内(うち)なる秩序(ちつじょ)を保(たも)とうとする人(ひと)の身体(からだ)の場(ば)に。
シャーマニズム的(てき)文脈(ぶんみゃく)における気功(きこう)
道教(どうきょう)的(てき)・シャーマニズム的(てき)系譜(けいふ)の気功(きこう)基礎(きそ)業(わざ)は狼(おおかみ)シャーマンの奥儀(おうぎ)の道(みち)の実践(じっせん)に見出(みいだ)されます。