セクメト · エジプトの
獅子頭(ししとう)の戦女神(せんにょしん)
その名(な)は「力(ちから)あるもの」。ラーの娘(むすめ)、その怒(いか)りから生(う)まれし者(もの)。彼女(かのじょ)の前(まえ)では誤(あやま)った絆(きずな)は立(た)つことができぬ · 腐(くさ)れる毒(どく)も、なまぬるい繋(つな)がりも。
頭(あたま)に太陽(たいよう)円盤(えんばん)を戴(いただ)き、額(ひたい)にウラエウス蛇(へび)を備(そな)えた牝(めす)獅子(しし)を見(み)れば、それはセクメトでございます。その名(な)——セケム、力(ちから)あるエネルギーと同(おな)じ語(ご)——はまさに「力(ちから)あるもの」。エジプトのネテルの中(なか)で最(もっと)も印象深(いんしょうぶか)き姿(すがた)の一(ひと)つであり、他(た)のどの姿(すがた)よりも居心地(いごこち)悪(わる)き存在(そんざい)です。長(なが)く保(たも)たれすぎたものを打(う)ち破(やぶ)らねばならぬとき、彼女(かのじょ)は来(きた)ります。
一言(ひとこと)申(もう)し添(そ)えますと、セクメトは西洋(せいよう)風(ふう)の「女神(めがみ)」ではなくネテレトでございます。個別(こべつ)の姿(すがた)を取(と)った宇宙(うちゅう)の戦士(せんし)的(てき)原理(げんり)。
神話(しんわ) · ラーの復讐者(ふくしゅうしゃ)
最(もっと)も知(し)られたセクメト譚(たん)はラーの怒(いか)りの瞬間(しゅんかん)を語(かた)ります。人々(ひとびと)はラーから離(はな)れ、彼(かれ)に対(たい)して陰謀(いんぼう)を企(くわだ)てました。ラーは自(みずか)らの怒(いか)りから生(う)まれたセクメトを人々(ひとびと)の上(うえ)に降(くだ)します。彼女(かのじょ)は仕事(しごと)に取(と)りかかり、独自(どくじ)の徹底(てってい)さで殺(ころ)してまいります。けれども怒(いか)りはラーには過(す)ぎたものとなりました。人類(じんるい)を絶滅(ぜつめつ)させたくはなかったのです。しかしセクメトは恍惚(こうこつ)の中(なか)にあり、止(と)めようとしません。
他(た)のネテルが策(さく)を講(こう)じます。血(ち)の色(いろ)に赤(あか)く染(そ)めた麦酒(ばくしゅ)の巨大(きょだい)な水盤(すいばん)を整(ととの)える。セクメトはそれを見(み)、人(ひと)の血(ち)と思(おも)い、疲労(ひろう)に至(いた)るまで飲(の)み、眠(ねむ)りに落(お)ちました。目覚(めざ)めたとき、怒(いか)りは消(き)え去(さ)っておりました。再(ふたた)びハトホル——彼女(かのじょ)の柔(やわ)らかき顔(かお)——でございました。人類(じんるい)は救(すく)われたのです。
セクメトとハトホルは同(おな)じネテレトの二相(にそう)である。両者(りょうしゃ)を分(わ)けて考(かんが)える者(もの)は両者(りょうしゃ)を逃(のが)す。憤(いか)れる赤(あか)と愛(あい)する音楽(おんがく)は、彼女(かのじょ)の中(なか)で同(おな)じ一(ひと)つの心(こころ)である。
その諸機能(しょきのう)
戦士(せんし)にして破壊者(はかいしゃ)
敵(てき)を退(しりぞ)けるべきときに呼(よ)び求(もと)められます。ファラオは戦(いくさ)の前(まえ)に彼女(かのじょ)を呼(よ)びました。神殿(しんでん)では有害(ゆうがい)な影響(えいきょう)を破壊(はかい)するよう乞(こ)われました。
病(やまい)と襲撃(しゅうげき)からの守護(しゅご)
逆説的(ぎゃくせつてき)に、セクメトは病(やまい)に対(たい)する守護(しゅご)のネテレトでもあります。エジプト人(じん)は病(やまい)をしばしば敵対的(てきたいてき)な力(ちから)の襲撃(しゅうげき)として理解(りかい)しました。人(ひと)を破壊(はかい)し得(え)るセクメトは、人(ひと)を襲(おそ)う力(ちから)をも破壊(はかい)し得(え)る。ゆえに癒(いや)しの文脈(ぶんみゃく)においても呼(よ)び求(もと)められました——病(やまい)をもたらすものを破壊(はかい)せよとの願(ねが)いと共(とも)に。
セケム・エネルギーの主(あるじ)
その名(な)は力(ちから)ある力(ちから)を表(あら)わす語(ご)と同(おな)じ。彼女(かのじょ)はこの力(ちから)を純粋(じゅんすい)な形(かたち)で体現(たいげん)します。セケムを用(もち)いる者(もの)は——これは多(おお)くのシャーマニズム的(てき)・エネルギー業(わざ)の基盤(きばん)です——暗(あん)に彼女(かのじょ)の場(ば)で業(わざ)を行(おこな)っています。シャーマニズム的(てき)武術(ぶじゅつ)におけるエネルギーもご覧(らん)ください。
千(せん)の名(な)
テーベのファラオの神殿(しんでん)は七百(ななひゃく)のセクメト像(ぞう)を有(ゆう)しておりました——一年(いちねん)の昼夜(ちゅうや)それぞれに一(ひと)つずつ、年(とし)のいかなる時(とき)にもセクメト像(ぞう)を呼(よ)び求(もと)められるように。多(おお)くは今日(こんにち)、欧州(おうしゅう)各地(かくち)の博物館(はくぶつかん)に立(た)っております。そうした像(ぞう)の一(ひと)つを訪(おとず)れることは、しばしば予期(よき)した以上(いじょう)に深(ふか)い体験(たいけん)です。三千五百年(さんぜんごひゃくねん)の後(のち)もなお、存在感(そんざいかん)を放(はな)っております。
供物(くもつ)と色
- 赤(あか) · 彼女(かのじょ)の色 · とくに濃(こ)き赤(あか)
- 麦酒(ばくしゅ) · 神話(しんわ)を踏(ふ)まえて
- 供物(くもつ)は遠慮(えんりょ)せず · 辛(から)き食(しょく)、強(つよ)き飲(の)み物(もの)
- 香(こう) · 強(つよ)く、甘(あま)くなく · 没薬(もつやく)、炎(ほのお)めく乳香(にゅうこう)
- 正午(しょうご)の陽光(ようこう) · 太陽(たいよう)が最(もっと)も熱(あつ)く照(て)らす時(とき)
- 音楽(おんがく)と舞(まい) · とくに太鼓(たいこ)の律動(りつどう)
現代(げんだい)実践者(じっせんしゃ)にとってのセクメト
セクメトは毎日(まいにち)のための姿(すがた)ではありません。しかし特定(とくてい)の瞬間(しゅんかん)においてはかけがえのない存在(そんざい)。誤(あやま)ったものが長(なが)く保(たも)たれすぎている状況(じょうきょう)——毒(どく)ある関係(かんけい)、破壊的(はかいてき)な型(かた)、先送(さきおく)りされた決断(けつだん)——に在(あ)る者(もの)は彼女(かのじょ)を呼(よ)べます。彼女(かのじょ)の存在(そんざい)は決定的(けっていてき)な切(き)り離(はな)しを助(たす)けます。回(まわ)りくどさなく、感傷(かんしょう)なく。
裏面(りめん)もございます。セクメトを呼(よ)ぶ者(もの)は、自分(じぶん)が何(なに)を願(ねが)っているかを承知(しょうち)せねばなりません。彼女(かのじょ)は柔(やわ)らかではない。妥協(だきょう)もしない。あらゆるネテレトを優(やさ)しき母(はは)として想像(そうぞう)する西洋(せいよう)の秘教的(ひきょうてき)傾向(けいこう)は、彼女(かのじょ)において容赦(ようしゃ)なく正(ただ)されます。これが彼女(かのじょ)の贈(おく)り物(もの)——女性的(じょせいてき)力(ちから)が柔(やわ)らかさと同(おな)じではないことを教(おし)える。
Shamanic Worlds におけるセクメト
当方(とうほう)のエジプト実践(じっせん)においてセクメトは特定(とくてい)の儀礼的(ぎれいてき)文脈(ぶんみゃく)で呼(よ)び求(もと)められます——境界(きょうかい)を引(ひ)くこと、誤(あやま)った繋(つな)がりを断(た)つこと、外的(がいてき)な強(つよ)い影響(えいきょう)からの守護(しゅご)。軽(かろ)々(がる)しくは呼(よ)びませんが、しかるべき瞬間(しゅんかん)に呼(よ)ばれたとき、その作用(さよう)はしばしば直(ただ)ちに感(かん)じ取(と)られます。
長(なが)く優(やさ)しすぎる役(やく)に閉(と)じ込(こ)められていた女性(じょせい)にとって、セクメトとの邂逅(かいこう)はしばしば解放(かいほう)の瞬間(しゅんかん)。自(みずか)らの内(うち)なる女性的(じょせいてき)部分(ぶぶん)を女性化(じょせいか)された定型(ていけい)でしか知(し)らぬ男性(だんせい)にとっては、彼女(かのじょ)は新(あら)たな次元(じげん)を開(ひら)く。いずれの場合(ばあい)も——彼女(かのじょ)は固(かた)く在(あ)ったものを変(か)えるのでございます。
力(ちから)あるものを呼(よ)ぶ
セクメト儀礼(ぎれい)は Shamanic Worlds のエジプト系譜(けいふ)の特定(とくてい)の業(わざ)局面(きょくめん)で起(お)こります。実体験(じったいけん)の場(ば)で明確(めいかく)な準備(じゅんび)と共(とも)に設(しつら)えられます。