大いなる狼と共にある
忍耐(にんたい)と内なる平和(へいわ)
冬の狼の群れは雪の中で幾時間も微動(びどう)だにせず横たわります。怠惰(たいだ)ではございません。深い臨在(りんざい)でございます。狼の平和へと至る四つの道のり。

西欧において「忍耐(にんたい)」はしばしば断念(だんねん)として読まれてまいりました。本来ならば即(すぐ)に手にしたいものを待つことと。この読みは、シャーマンの伝統が忍耐と呼ぶものを取り逃しております。狼シャーマニズムにおいて忍耐は臨在(りんざい)の質でございます — 思考的にも情緒的(じょうちょてき)にも場(ば)を離れぬまま、今ここに全(まった)く在ること。これは「待つ」とは異なるもの · 各瞬間を支える内なる静寂(せいじゃく)の形(かたち)でございます。
本稿は狼の俯瞰(ふかん) 「守護獣(しゅごじゅう)としての狼 · 三つの文化圏」の一つの主題を深めてまいります。狼が教える忍耐と内なる平和を描き · これらを自身の実践に取り入れるための四つの具体的(ぐたいてき)な道のりをお示しいたします。
忍耐について狼が示すもの
狼は何時間も一所(いっしょ)に微動だにせず横たわることがございます。冬、雪の被(おお)いの下で、僅(わず)かな動きにもとどまります。人がその獣を見て思います — 何と忍耐強(にんたいづよ)きことか、と。しかし狼自身にとって、それは忍耐ではございません · 単に臨在しているのみ。横たわりは「他のものを待つこと」ではなく、今あるものへの参与(さんよ)でございます。
狼シャーマニズムにおいて、まずこの読み替えが起こらねばなりません。忍耐は背後に追いやりたいものを耐えることではなく · 今あるものへの全き浸(ひた)りでございます — 他の選(えら)びを考えに上らせぬ獣の自然(じねん)さをもって。
獲物(えもの)を待つ狼は、待っておりません。彼はすでに獲物の側におります。その身体、息、感覚はすでに動きの起こる場所におります。「待つ」とは観察者の幻影(げんえい)に過ぎないのです。
内なる平和とは何か
シャーマンの実践における内なる平和は、緊張(きんちょう)から離れた状態ではございません。儀礼に立つシャーマンはしばしば大いなる強度を担いつつ、なお平和の中におります。ここで平和とは、抵抗の中に在らぬことを意味します。場(ば)はあるがままに在ることを許され、実践者は実相に抗(あらが)いません。
これは受動性ではございません。平和の中の狼は、より効果的(こうかてき)に動きます — 内なる抵抗にエネルギーを失わぬからです。平和とは、意識ある存在の最も効率的(こうりつてき)な動作様式(どうさようしき)でございます。残りはみな摩擦(まさつ)の損失(そんしつ)に過ぎないのです。
狼の平和への四つの道のり
狼シャーマンの奥儀(おうぎ)の道の実践の中で、特に親しみやすい四つの道のりが見いだされてまいりました。単独でも、また組み合わせても歩むことができます。
道一 · 狼の息と共なる瞑想(めいそう)
最初の道は息に沿(そ)います。休息の中の狼は深く緩(ゆる)やかに、焦(あせ)りなく息をいたします。心をその息に合わせる者は、自らの呼吸の系をその律動(りつどう)に近づけてゆきます。働きは身体の上で計りうるものでございます — 心拍(しんぱく)が緩み、筋肉が解け、頭が静まる。
素朴(そぼく)な実践 — 朝(あさ)の五分間。目を閉じて、自(みずか)らを巣穴に憩(いこ)う狼と想い、その律動にて息をなさる — 深く、緩やかに、入りと出の間に休みを置かず。それで一日(いちにち)の基調が違うものとなります。
道二 · 自然の観察を実践として
第二の道は外へ向かいます。森、公園、川辺(かわべ)の一所(いっしょ)に二十分座(ざ)し、何もなさらず。電話も、書(しょ)も、会話もなく。ただ起こることを観(み)てください — 鳥、虫、風に動く葉を。
およそ十分の後、何かが起こります。はじめ退屈(たいくつ)であった頭が静まり、最初に「退屈」と思えたものが息づき始めるのです。これが狼の平和でございます — 常にあったのに見えなかったものへの覚醒(かくせい)。
道三 · 群れとのつながりを育(はぐく)む
第三の道は意外に見えるかもしれません — 関係を通じた平和。孤(こ)の中の平和は脆(もろ)く、群れの中の平和は安定しております。理由もなく誠実(せいじつ)で在りうる人を持つ者は、瞑想(めいそう)だけでは得られぬ平和を見いだします。
実践 — 週に一度、自身の群れの一人と何の解決も要らぬ会話を。問題も、目標も、助言もなく。ただ共に在ること。これが群れの土壌(どじょう)を築き、そこから他のすべての平和へと近づきうるようになるのです。
道四 · 大いなる狼との儀礼(ぎれい)
第四の道は、より狭(せま)い意味でのシャーマンの実践へ続きます。夕(ゆう)の短き儀礼にて大いなる狼を呼ぶ — 蝋燭(ろうそく)一本、静けさの一時(ひととき)、彼の平和への内なる願い。これを規則的(きそくてき)に行う者は、日々を支える関係を育みます。
儀礼は手の込(こ)んだものである必要はございません。夕に五分で十分です。肝要(かんよう)なのは規則性です。狼は繰り返しを通じて関係を築きます — それが彼の道です。一度呼んで三月(みつき)放置(ほうち)した者には関係はありません。毎晩(まいばん)短く触(ふ)れる者には同伴者(どうはんしゃ)がございます。
律動としての忍耐 · 持久(じきゅう)ではなく
西欧的理解との重要な違い — 狼の忍耐は長距離(ちょうきょり)走ではございません。それは息の律動です — 張りと緩み、張りと緩み。出の息(いき)には入(い)りの息と同じだけの働きがございます。両相(りょうそう)は等しく重要なのです。憩(いこ)いを伴わず持(も)ちこたえるだけの者は、いつしか崩(くず)れます。狼はこれを本能(ほんのう)で知っております。
自身の実践において、これは意味します — 忍耐と平和は両方の相(そう)を要すると。深き働きと深き憩い。平和を強(し)いようとする者はそれを得ることはなく · 律動の中に生きることを許す者は、ほぼ自ずから(おのずから)それを見いだすのです。
三つの文化圏を通じての忍耐
他の狼の質と同じく、忍耐もまた大いなる狼の三つの流れすべてに見いだされます。日本において、滝の下に幾時間も立つ山伏(やまぶし)の忍耐に出会います。北欧において、獣そのものへとなる狩人の忍耐に。アフリカにおいて、草原(そうげん)が自らを支えていることを知るがゆえに焦(あせ)ることのないジャッカルの忍耐に。三つの像、一つの核(かく)でございます。
実践における狼の平和
四つの道のりは、狼シャーマンの奥儀(おうぎ)の道のライブの行事において共に磨(みが)かれます。基礎は著書に記されております。