ホルスと
太陽(たいよう)・月(つき)の象徴(しょうちょう)
左目(ひだりめ)は月(つき)。右目(みぎめ)は太陽(たいよう)。二(ふた)つ合(あ)わせてウジャトを成(な)す——極性(きょくせい)と全体性(ぜんたいせい)が何(なに)を意味(いみ)するのか、最(もっと)も古(ふる)く、最(もっと)も精緻(せいち)な象徴(しょうちょう)の一(ひと)つです。
多(おお)くの方々(かたがた)は、ホルスの目(め)を洒落(しゃれ)たお守(まも)りとしてご存(ぞん)じです。様式化(ようしきか)された目(め)、その下(した)の線(せん)、渦巻(うずま)き。ネックレスに掛(か)けられ、ドル札(さつ)に印刷(いんさつ)され、ハリウッド映画(えいが)にも登場(とうじょう)します。ほとんど誰(だれ)も気付(きづ)かぬこと——この象徴(しょうちょう)は一(ひと)つの目(め)ではない。二(ふた)つです。そしてこの事実(じじつ)が、宇宙(うちゅう)と魂(たましい)についてのエジプト・シャーマニズム的(てき)理解(りかい)の鍵(かぎ)でございます。
ホルスの左目(ひだりめ)は月(つき)。右目(みぎめ)は太陽(たいよう)。両者(りょうしゃ)が一(ひと)つの象徴(しょうちょう)の中(なか)に統合(とうごう)されて描(えが)かれることは、装飾的(そうしょくてき)な偶然(ぐうぜん)ではございません。一瞥(いちべつ)の距離(きょり)に凝縮(ぎょうしゅく)された神学(しんがく)なのです。
ホルスとセトの神話(しんわ)
この象徴(しょうちょう)を理解(りかい)するには物語(ものがたり)が必要(ひつよう)でございます。エジプトの宗教(しゅうきょう)の中心的(ちゅうしんてき)な物語(ものがたり)の一(ひと)つです。
最初(さいしょ)の神話的(しんわてき)ファラオ、オシリスが弟(おとうと)セトに殺(ころ)されます。妹(いもうと)であり妻(つま)でもあるイシスは、ばらばらにされた身体(からだ)の破片(はへん)を集(あつ)め、彼(かれ)から呪術的(じゅじゅつてき)に息子(むすこ)を宿(やど)します——ホルスです。ホルスは隠(かく)れて育(そだ)てられます。成人(せいじん)すると、セトに立(た)ち向(む)かいます。両者(りょうしゃ)の戦(たたか)いは長(なが)く、激(はげ)しい。動物(どうぶつ)に姿(すがた)を変(か)える。ネテルたちの法廷(ほうてい)で争(あらそ)う。砂漠(さばく)で取(と)っ組(く)み合(あ)います。
ある戦(たたか)いの中(なか)で、セトはホルスの左目(ひだりめ)を引(ひ)き抜(ぬ)く。別(べつ)の戦(たたか)いの中(なか)で、ホルスはセトを傷(きず)つけます。傷(きず)は癒(い)やされる——しかし痕跡(こんせき)は残(のこ)るのです。
最終的(さいしゅうてき)にホルスが勝利(しょうり)します。王座(おうざ)を受(う)け取(と)る。セトは砂漠(さばく)と混沌(こんとん)のネテルとなる——殺(ころ)されず、肥沃(ひよく)な世界(せかい)の外側(そとがわ)の領域(りょういき)へ追(お)い払(はら)われるのです。オシリスは冥界(めいかい)を治(おさ)める。ホルスは目(め)に見(み)える世界(せかい)を治(おさ)めます。秩序(ちつじょ)が取(と)り戻(もど)される。けれども、以前(いぜん)と同(おな)じではない。
ウジャト · 癒(い)やされた目(め)
セトが引(ひ)き抜(ぬ)いたホルスの左目(ひだりめ)は、トト神(しん)によって回復(かいふく)されました。この瞬間(しゅんかん)——失(うしな)われた目(め)の癒(い)やし——がウジャトの誕生(たんじょう)でございます。この語(ご)は文字通(もじどお)り「全(まった)きもの」「無傷(むきず)なるもの」「回復(かいふく)されたもの」を意味(いみ)します。
この細部(さいぶ)が全(すべ)てを変(か)えます。ウジャトは触(ふ)れられぬネテルの目(め)ではない。破壊(はかい)されて、再(ふたた)び組(く)み合(あ)わされた目(め)なのです。そして、まさにそれゆえに呪術的(じゅじゅつてき)力(ちから)を持(も)つ。傷(きず)にもかかわらずではない。傷(きず)によってこそ、なのです。
エジプトでウジャトと呼(よ)ばれるものを、仏教(ぶっきょう)の東(ひがし)では金継(きんつ)ぎと呼(よ)びます——陶器(とうき)の割(わ)れ目(め)を金(きん)で繋(つな)ぐ術(じゅつ)。容器(ようき)は割(わ)れたことを隠(かく)さず、むしろ祝(いわ)うのです。
同(おな)じ原理(げんり)が、これほど異(こと)なる文化(ぶんか)に現(あらわ)れる——エジプトでは紀元前(きげんぜん)2000年(ねん)頃(ごろ)、日本では15世紀(せいき)。これは偶然(ぐうぜん)ではございません。シャーマニズムの根本(こんぽん)的(てき)模様(もよう)です。癒(い)やしは傷(きず)にもかかわらずではなく、傷(きず)を通(とお)して訪(おとず)れるのです。
内(うち)なる極性(きょくせい)としての太陽(たいよう)と月(つき)
右目(みぎめ)が太陽(たいよう)で、左目(ひだりめ)が月(つき)であるならば、この象徴(しょうちょう)は人間(にんげん)について明確(めいかく)なことを語(かた)っています——あなたは両方(りょうほう)を持(も)つ。昼(ひる)と夜(よる)。意識(いしき)と無意識(むいしき)。行動(こうどう)と受(う)け入(い)れ。明晰(めいせき)さと深(ふか)さ。
西洋(せいよう)の秘教(ひきょう)ではこの極性(きょくせい)はしばしば浅(あさ)く扱(あつか)われ、男性(だんせい)と女性(じょせい)の対立(たいりつ)として、その後(ご)カップル力学(りきがく)へ投影(とうえい)されてきました。エジプトの見方(みかた)はより繊細(せんさい)です。ホルスにおいて両眼(りょうがん)は一(ひと)つの存在(そんざい)の中(なか)にあります。「男性(だんせい)は太陽(たいよう)を、女性(じょせい)は月(つき)を持(も)つ」のではない。すべての人(ひと)が両方(りょうほう)を担(にな)う。そして、両方(りょうほう)を癒(い)やした者(もの)のみが全(まった)きものとなるのです。
ホルスの太陽(たいよう)
右目(みぎめ)、太陽(たいよう)は、輝(かがや)き、明(あき)らかに区別(くべつ)し、名付(なづ)ける意識(いしき)を表(あらわ)します。形(かたち)を見(み)る。正(ただ)しいことと間違(まちが)っていることを示(しめ)す。秩序(ちつじょ)を整(ととの)える。エジプトの実践(じっせん)ではこの質(しつ)はマアトと結(むす)びつけられます——宇宙(うちゅう)の秩序(ちつじょ)、真実(しんじつ)、正義(せいぎ)です。
ホルスの月(つき)
左目(ひだりめ)、月(つき)は、もう一(ひと)つのもの。半(はん)ばに陰(かげ)れる中(なか)に生(い)きるもの。夢幻的(むげんてき)なるもの。直観的(ちょっかんてき)なるもの。明確(めいかく)には名付(なづ)けられぬが、それでも働(はたら)くもの。満(み)ち欠(か)け、循環(じゅんかん)のリズム、原型的(げんけいてき)意味(いみ)での女性的(じょせいてき)なるもの。エジプトの伝統(でんとう)ではこの質(しつ)はネテルのハトホルと結(むす)びつけられました——後(のち)にはホルスの母(はは)であるイシスご自身(じしん)と。
両眼(りょうがん)が開(ひら)いていなければなりません。太陽(たいよう)の目(め)のみで見(み)る者(もの)は硬直(こうちょく)し、暴君的(ぼうくんてき)となる。月(つき)の目(め)のみで見(み)る者(もの)は霧(きり)の中(なか)に迷(まよ)い込(こ)む。ウジャトが示(しめ)すこと——両眼(りょうがん)が共(とも)に · 癒(い)やされ · 全(まった)きものに。
エジプト・シャーマニズム実践(じっせん)における極性(きょくせい)
エジプト・シャーマニズム——この用語(ようご)は20世紀(せいき)に造(つく)られたばかりですが、極(きわ)めて古(ふる)い実態(じったい)を描写(びょうしゃ)するものです——はこの極性(きょくせい)に深(ふか)く取(と)り組(く)みます。如何(いか)に。具体的(ぐたいてき)に呼吸(こきゅう)、観想(かんそう)、儀礼(ぎれい)構造(こうぞう)を通(とお)して。
- 神殿(しんでん)では特定(とくてい)の祝祭日(しゅくさいじつ)に儀礼(ぎれい)の順序(じゅんじょ)が逆転(ぎゃくてん)された · 「逆転(ぎゃくてん)」は反対(はんたい)の極(きょく)を活(い)き活(い)きとさせるための実践(じっせん)の一部(いちぶ)
- 太陽神(たいようしん)ラーの舟(ふね)は昼(ひる)は天(てん)を、夜(よる)は冥界(めいかい)を航(こう)する · それぞれ十二時間(じゅうにじかん) · 夜(よる)の旅(たび)は昼(ひる)と同(おな)じく重要(じゅうよう)
- シャーマニズム的(てき)癒(い)やしの実践(じっせん)は両眼(りょうがん)で働(はたら)く · 一(ひと)つは診察(しんさつ)(太陽(たいよう)・観(み)る)、もう一(ひと)つは受容(じゅよう)(月(つき)・感(かん)じる)
- ネヘフの時間(じかん)観念(かんねん) · 循環(じゅんかん)し、留(とど)まる永遠(えいえん) · がジェトの傍(かたわ)らに立(た)つ · 流(なが)れ過(す)ぎる直線的(ちょくせんてき)な時間(じかん) · 両者(りょうしゃ)が並(なら)んで成立(せいりつ)する
顕現(けんげん)としてのファラオ
公式(こうしき)のエジプトの祭儀(さいぎ)ではファラオはホルスの生(い)きた顕現(けんげん)でした。戴冠(たいかん)に際(さい)し、彼(かれ)はただ王(おう)となるのではない。生(い)きるホルスとなるのです。これは詩的(してき)な比喩(ひゆ)ではない——祭儀的(さいぎてき)な現実(げんじつ)です。そして死後(しご)、彼(かれ)はオシリスとなる。次(つぎ)のファラオ、彼(かれ)の息子(むすこ)が新(あら)たなホルスとなる。こうして、終(お)わりなき連鎖(れんさ)が続(つづ)きます。
これが民間(みんかん)の呪術(じゅじゅつ)の中(なか)で三千年(さんぜんねん)以上(いじょう)かけて発展(はってん)したことは、ファラオでない者(もの)すべてが自(みずか)らの「内(うち)なるホルス的(てき)存在(そんざい)」に近(ちか)づくためのシャーマニズム的(てき)体系(たいけい)です。ファラオを演(えん)じるためではない。ファラオが持(も)っていた二重(にじゅう)の眼差(まなざ)しを得(え)るために。太陽(たいよう)と月(つき)を同時(どうじ)に。
なぜ「エジプトのシャーマニズム」か
この用語(ようご)は多(おお)くの方々(かたがた)には馴染(なじ)みが薄(うす)いかもしれません。「シャーマニズム」はシベリアの草原(そうげん)を連想(れんそう)させ、エジプトの神殿(しんでん)とは結(むす)びつきにくい。これは宗教学(しゅうきょうがく)の後年(こうねん)の慣例(かんれい)でございます——エリアーデの著名(ちょめい)なシャーマニズム研究(けんきゅう)が1951年(ねん)に発表(はっぴょう)される以前(いぜん)、この用語(ようご)はより流動的(りゅうどうてき)に使(つか)われておりました。
しかし実践(じっせん)を見(み)れば——エジプトの神官(しんかん)たちは霊的(れいてき)に旅(たび)をしました。動物(どうぶつ)の存在(そんざい)と交(まじ)わりました(そして彼(かれ)らのネテルの多(おお)くはそのものが動物(どうぶつ)である——ホルスは隼(はやぶさ)、トトはイビス、バステトは猫(ねこ))。癒(い)やしの仕事(しごと)を行(おこな)いました。冥界(めいかい)への旅(たび)を行(おこな)い、その文芸的(ぶんげいてき)記録(きろく)が「死者(ししゃ)の書(しょ)」あるいは「アムドゥアト」として今日(こんにち)に伝(つた)わります。これらはシャーマニズムの仕事(しごと)の刻印(こくいん)です。決(けっ)するのは地理的(ちりてき)な場所(ばしょ)ではなく、実践(じっせん)なのです。
エジプトの伝統(でんとう)を真摯(しんし)に受(う)け止(と)める方(かた)は、人類史(じんるいし)において最(もっと)も古(ふる)く連続(れんぞく)するシャーマニズム体系(たいけい)の一(ひと)つに触(ふ)れることになります。太陽(たいよう)と月(つき)の象徴(しょうちょう)は、その入(い)り口(ぐち)の一(ひと)つでございます。
道(みち)におけるエジプトのシャーマニズム
ホルス、ラー、イシス、トト——エジプトの存在(そんざい)たちは、狼(おおかみ)シャーマンの拡(ひろ)げられた系譜(けいふ)の一部(いちぶ)です。ライブ・イベントでは個々(ここ)の側面(そくめん)が実践(じっせん)的(てき)に深(ふか)められます。